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雑談

祝園のおばあちゃんの話

おばあちゃんの画像

思い出深いお客様がいました。
本日は時間にもゆとりがありますので大好きだったお客様のおばあちゃんとの思い出を記事にします。

出会い

おばあちゃんとの出会いは13年ぐらい前になると思います。京都の祝園から依頼の電話があり、その内容は「年賀状印刷で困っているから助けてほしい。」と言う内容でした。
できれば日曜日に来てほしいと言われたので、その週の日曜日に訪問したと思います。
初めての印象は、とても上品で何でしょうか?年上の女性には失礼ですがとても可愛らしいおばあちゃんだと感じました。
作業自体は大した事ではなく、プリンターの印刷データをクリアする事で解消するトラブルだったと記憶しています。

作業終了後にお茶を用意するから、こちらにどうぞとリビングに通されソファに座るとおばあちゃんはソーダ水とお菓子を出してくれたのです。

そこで色々な世間話をしました。
その時おばあちゃんの年齢が90歳を超えていたことを知って、本当にビックリしました。それはとても90歳を超えているとは思えないほど背筋も真っ直ぐで杖もついていない。しかも戸建ての家に一人暮らしをしていたのです。家の中も綺麗に掃除されていました。
しかも自分でパソコンから年賀状を作って毎年出していたと言うのです。
世間話を15分ほどするとおばあちゃんが「あなたも忙しんだから、これでお開きにしましょう!」と言って私を次の仕事に向かわせてくれました。
相手の立場もちゃんとわかってくれる素晴らしいおばあちゃんです。

年賀状の時期になると電話が鳴りました。

次に依頼の電話があったのは最初の依頼があってから1年後の12月でした。丁度年賀状の時期です。

「悪いんだけど、又助けて頂けない。」

私は喜んで訪問したのです。
この時はパソコン自体の調子も悪くなっていて、その時はなんとか年賀状の印刷は出来ましたが、来年はこのパソコンでは厳しいかもしれないと伝えた事は覚えています。

そして翌年も同じ時期、同じ内容で連絡があり訪問すると案の定パソコンの調子が悪くパソコンが動作しません。

私はおばあちゃんに使っているパソコンも結構長く使用しているから買い替えた方が良いと伝えるとおばあちゃんは
「私の先が長くないからもったいない」と言うんですよ!

私はすごく切ない気持ちになり、どう返して良いのかわからず黙ってしまったのです。お世辞でも「そんな事ないですよ」とは言えませんでした。

中古パソコンを用意しました。

私はおばあちゃんに中古パソコンを提案しました。するとこれについては承諾してもらい、この年はパソコンの入替作業と年賀状印刷のお手伝いをさせてもらいました。

オレオレ詐欺と勘違いされて

パソコンの入替をして調子が良くなったのか翌年とその翌年には依頼の連絡はありませんでした。多少は気にはなっていましたが、そのうち連絡があるだろうと思い日常を過ごしていましたが、その翌年つまり3年間にわたり依頼がなかったので、さずがに気になり私から連絡したのです。

電話が掛け2~3回のコールで受話器の上がる音がして

「はい、もしもし!」とおばあちゃんの声です。

繋がってよかったと思い
「パソコンでお世話になっている橋崎ですけど、お変わりないですか?」
と言うといきなり
「心当たりがありません!」と言われ電話を切られてしまいました。
そりゃそうですよね、この世の中これだけオレオレ詐欺には気を付けましょうと言われている中で電話をかけた私が悪かったのです。
でもおばあちゃんの声が聞けて良かった!

しかしその翌年には依頼の連絡があり、久しぶりに訪問した時には甥っ子さんがおばあちゃんの家の大掃除を手伝っていました。
私は挨拶をすると甥っ子さんは私に
「叔母から親切なパソコン屋さんがいてると、いつも話は聞いています。」
「今回も中古パソコンを用意してもらい本当にありがとうございました。老人相手だとどうしても足元をみてくる業者が多いのですが、あなたは信用できます。」と言ってもらい。
商売人としては最高の誉め言葉を頂きました。

世間話での思い出

先にも書きましたが、作業終了後には毎回必ずお茶をふるまってくれます。そして必ずソーダ水なのです。

色々な話をしました。
若い時の仕事は女学校の教師をしていた事や旦那さんを若くに戦争で亡くし子供がいない事。
その旦那さんの事をいつまでも愛し続け生涯独身であった事などがとても印象的な話でした。
同時にこの話を聞いた時に私達が生きるこの国やこの時代があるのはこの人達のおかげであると感謝しました。

東京オリンピックまでは頑張ろう!

ある年に東京オリンピックの話をしたんです。おばあちゃんはこう言いました。
「とてもじゃないけど、それまでは生きていないわ!」
でも私は元気そうなおばあちゃんにこう言いました。
「絶対大丈夫やから、頑張ってください。」
目標をもってほしかったのです。

最後の出張サポート

甥っ子さんに会った翌年に訪問したのが最後でした。

私は毎回、年賀状の印刷が全部出来るまで付き合っていました。
数百枚印刷するので家庭用のプリンターで印刷するのは時間はかかります。でもこの間におばあちゃんと話する時間が私には大切な時間でした。
効率的ではないと言う言葉が聞こえてきそうですが。
人生には無駄な事も必要だと思っています。

いつもの年と変わらない本当に穏やかで楽しい時間でした。

そしてその翌年には連絡がありませんでしたが、別に気に留めるような事はありませんでした。
実を言うと、これも京都のこのあたりの地理がわからない方には申し訳ないのですが、私はステーションボウル新田辺さんを始め京田辺市には複数のお客様がいます。祝園はこのお客様達へ訪問する時の途中にあるので、度々ではないですが、時間があるときには家の前を通り様子を見ていたのです。
おばあちゃんも言っていたのですが、家があればご健在と認識していました。

覚悟はしていますが本当にお別れだと思うとつらいです。

訪問しなくなって何年か経過して、ふとおばあちゃんの事が妙に気になりました。そういえばしばらく家の前を通ってないなと思ったので、本当はあまり時間もなかったのですがおばあちゃんの家の前を通る道を選択したのです。

この角を右に曲がるとおばあちゃんの家です。

しかし曲がるとおばあちゃんの家は取り壊されていてありませんでした・・・・

私はこのおばあちゃんの事が本当に好きだったのでしょう。

私は急に目が見えなくなってしばらく動けませんでした。

最後に

このパソコンはパソコン入替時に私が処分を引き受けて引き取ったおばあちゃんのノートパソコンです。
しかしおばあちゃんとの思い出があるので処分できずにいるのです。

おばあちゃんは私の記憶の中でいまもアイキャッチ画像の様に微笑んでいます。